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【取材レポート】「マリー・アントワネット・スタイル」が横浜美術館で開催中。宮廷衣装から現代のオートクチュールまで、永遠のミューズをめぐる250年

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)

歴史上もっともファッショナブルな王妃とされるマリー・アントワネット(1755~93)の美意識と後世に与えた影響に焦点を当てた展覧会「マリー・アントワネット・スタイル」が、横浜美術館で開催中です。会期は2026年11月23日まで。

「浪費家の悪女」のレッテルを超えて。美の革新者として見直されるアントワネット

マリー・アントワネットは1755年、神聖ローマ皇帝フランツ1世と「女帝」マリア・テレジアの第15子としてウィーンに誕生。わずか14歳でフランス王太子(後のルイ16世)に輿入れし、18歳で王妃となります。ヨーロッパ宮廷文化の模範であるヴェルサイユの象徴として、ドレスや宝飾品、住空間に至るまで自身の美意識を反映させ、トレンドを牽引しました。

しかし、財政難にあえぐフランスにおいてその優雅な暮らしぶりは、外国(かつての敵国)出身という背景も重なり、批判の的になります。1789年にフランス革命が勃発すると王政は揺らぎ、王一家は国外への逃亡を試みるも失敗。幽閉生活を送る間に王政が廃止され、1793年、国家への反逆などの罪に問われ、37歳でギロチン処刑という悲劇的な最期を迎えます。

ジャン゠フランソワ・ジャニネ(J.-B.-A. ゴーティエ=ダゴティの作品による)《フランスおよびナヴァールの王妃、オーストリアのマリー・アントワネット》1777年(原作:1775年)、V&A

数々の流言や政治的プロパガンダによって、「浪費家の悪女」というイメージが形作られてしまったアントワネット。しかし近年の歴史研究では、政治的影響力の小ささに悩んだ若き王妃としての姿や、子どもの養育に積極的に関わった愛情深い母親としての一面など、従来のイメージだけでは捉えきれない人物像が明らかになっています。さらに、彼女が生み出した流行は、結果としてフランスの高度な職人の手仕事や工芸文化を支え、今日まで続くフランスのラグジュアリー産業、とりわけファッションと織物産業の発展にも影響を与えました。

特に英語圏で進む再評価の流れを牽引したのが、本展を企画したロンドンのV&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)を擁する英国でした。英国小説家アントニア・フレイザーの伝記『マリー・アントワネット』(2001)や、同書を基にしたソフィア・コッポラ監督の同名映画(2006)は、こうした再評価の流れを広く伝えた代表的な作品といえるでしょう。

何より注目されているのは、宮廷の重層華美な様式や厳格さに挑み、自らが「美しい」「心地よい」と感じるシンプルで洗練されたスタイルを自己表現として貫いた改革精神です。

本展は、 そうしたマリー・アントワネットの革新性と人物像に迫るとともに、250年の間にその影響を受けた絵画や文学、舞台、映画、そしてオートクチュールの展開などを広く紹介するもの。ドレス、ジュエリー、家具、絵画、写真など約200点で構成されており、V&A企画の世界巡回展に、国内の関連作品も加えた日本オリジナルの内容となります。

格式から自然体へ。宮廷ファッションに新しい風を吹き込んだ王妃

会場は全3章構成。アントワネットの実像に迫る第1章「マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770-1793」では、18世紀後半の宮廷文化を伝える衣装の数々が登場します。

14歳でフランス王太子妃として輿入れしたアントワネットは、銀色に輝くウェディングドレスで華やかに宮廷へデビューし、その装いは20年にわたり人々の注目の的となります。当時のヴェルサイユでは、着替えさえも厳格な儀礼のひとつ。服飾に関して厳しい規定が設けられ、彼女は多くの貴族に見守られながら衣服を身につけていました。

《ローブ・ア・ラ・フランセーズ》フランス製、1760年代(1770年代に加工)、V&A

大礼服に次ぐ格式をもつ宮廷の正式衣装「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」(フランス風ドレス)は、背にボックスプリーツを引いた前開きのガウン、ストマッカー(胸当て)、パニエで左右に大きく張り出したペチコート(スカート)で構成されるドレスです。アントワネットは特に、織る前に経糸を先染めすることで水彩画のようなぼかし模様を生み出す高級絹織物「シネ・シルク」(日本の絣に相当)を好みました。会場に並ぶブルーの一着も、ロココ様式を象徴するパステル調の淡い色彩が愛らしいシネ・シルク仕立て。ロココ特有の優美なつるバラや花束の連続模様に、ルイ16世様式のモダンなストライプを組み合わせたデザインが当時の流行を伝えています。

《ローブ・ア・ラングレーズ》製作地不詳、18世紀後期(1770–90年代)、共立女子大学博物館 ※展示期間:8/1~9/9 現在は展示されていません。

一方で、非公式の時間にはより軽やかで動きやすい装いを好み、背中のプリーツや大きなパニエを省いた軽やかな「ローブ・ア・ラングレーズ」(英国風ドレス)や、スカートの裾をたくし上げて動きやすくした「ローブ・ア・ラ・ポロネーズ」(ポーランド風ドレス)を取り入れ、宮廷ファッションに新しい風を吹き込みました。

右は《ローブ・ア・ラ・ポロネーズ》フランスあるいは英国製、1775–80年、V&A

さらに、少人数の親しい人々と自然体で過ごすための空間として、ヴェルサイユ宮殿の離宮プチ・トリアノンにイギリス風庭園や村里を作るなど、自らの好みでしつらえます。ここでは服装をめぐるしきたりやエチケットも本宮より大幅に簡略化されていたため、柔らかな木綿(モスリン)で仕立てた、胸下をリボンでゆるやかに絞るだけのシンプルなシュミーズ・ドレスや麦わら帽子を好んで着用。田園生活を理想とした心地よい暮らしを追求していきました。

シュミーズ・ドレスは当初、「王妃が下着同然の姿をしている」と非難され、フランス伝統のリヨン絹織物ではなく外国産モスリンを用いたことも批判の対象となりました。また、宮廷の伝統から距離を置く姿勢も「王妃らしからぬ振る舞い」と受け止められ、評判を落とす一因になります。しかし、こうした格式よりも自然体を重んじる装いは、思想家ジャン・ジャック・ルソーの「自然に帰れ」という思想に象徴される18世紀の自然志向とも重なり、装飾過多な宮廷ドレスに辟易としていた宮廷女性たちに歓迎され、ヨーロッパ各国へ広がっていきました。

王妃が故国へ託した天然真珠の首飾りが、約250年の時を超えて世界初展示

フランソワ=ユベール・ドルーエ《コートドレスのマリー・アントワネット》1773年、V&A

アントワネットは、輿入れの際にオーストリアから持参した宝飾品をはじめ、フランス王室に代々伝わるクラウン・ジュエル、贈答品や購入品など、宮廷生活に欠かせない豊かな宝飾コレクションを所有していました。しかし、フランス革命によってその多くは散逸し、現在まで伝わる遺品はごくわずかです。

《マリー・アントワネット旧蔵の天然真珠とダイヤモンドの3連ネックレス》フランス製、18世紀後半、ハイディ・ホルテン・コレクション、ウィーン

《天然真珠とダイヤモンドの3連ネックレス》はその貴重な1点。王妃がこよなく愛した天然真珠119粒を連ねたネックレスです。王家の運命が暗転するなか、故国オーストリアへ密かに運ばせた宝飾品の一つであり、娘マリー・テレーズから子孫の家系で時代に合わせて仕立て直されながら大切に継承されてきました。2018年、サザビーズのオークションに出品されたことで初めて広く存在が知られるようになったもので、ロンドン展には出品されておらず、展覧会のかたちで一般公開されるのは今回の日本展が初となります。

セーヴル磁器製作所、ルイ=シモン・ボワゾ《フランス王妃マリー・アントワネットの胸像》1788年頃、V&A

なお本章では、ファッションリーダーとしてのアントワネットの立役者である、平民出身のモード商ローズ・ベルタンや結髪師レオナール・オーティエという、現代のスタイリストの先駆けともいえる存在にも触れています。

二人は王妃に重用され、数々のプフ(髪型)を考案。羽根や花、真珠などに加え、例えば軍艦の模型まで載せる奇抜なものは、アメリカ独立戦争における仏海軍の勝利を祝う意味を込めたものとされています。当時のファッションが単なる装いにとどまらず、話題やメッセージを共有するメディアでもあったことがうかがえます。

作者不詳(フランス)《ヘアスタイル「独立」あるいは「自由の勝利」》1778年刊行、V&A
上はA.B.デュアメル(J.F.ドゥフレーヌの作品による)《帽子とボネの1787年夏のスタイル》1787年刊行、V&A/下は作者不詳(フランス)《ファッションとご婦人たちのヘアスタイルをめぐる新しいゲーム》1778年刊行、V&A

アントワネットは1774年、休刊していた女性誌『ル・ジュルナル・デ・ダム』の復刊を発案。ベルタンやレオナールが手がける最新の宮廷ファッションを紹介する媒体としました。それほどモードの牽引に熱心だった背景には、政治的な発言力が限られていた若き王妃にとって、ファッションが宮廷での存在感や影響力を築く手段の一つだったという側面もあったと考えられます。

「MA」のモノグラムが存在感を示す。住空間の隅々まで貫かれた美意識

牧歌的美学のデザインで知られる高級プリントコットン「トワル・ド・ジュイ」と並んで、アントワネットが好んで住空間に取り入れたものの一つに、自身のイニシャルを用いた「モノグラム」があります。それは公的な権威やアイデンティティを示す印でしたが、彼女は私室の調度品から階段の手すり、身の回りの持ち物に至るまで、あらゆる物理的な環境に消すことのできないものとして徹底的に自身の印を刻むことで、自己ブランディングに活用。モノグラムを高級感や洗練に連なるものと受け止める現代文化の下地をつくりました。

ジャン=バティスト=クロード・スネ《マリー・アントワネットの肘かけ椅子(4点組の1点)》1788年、V&A

ルイ16世から贈られたパリ郊外サン゠クルー城の化粧室で実際に使用されたという肘掛け椅子も、よく見ると背もたれの上部に、バラとギンバイカの縁取りで優美な「MA」のモノグラムがあしらわれているのに気づきます。田園趣味が表れた小花柄や、白や紫の軽やかな色合いは、彼女のために制作されたセーヴル陶磁器の食器セットにも共通しており、そのスタイルの特徴が見て取れます。

セーヴル磁器製作所《皿 マリー・アントワネットの食器セット「真珠とヤグルマギク」》1781年、V&A

なお、バラは自然を愛したアントワネットを象徴する花の一つ。プチ・トリアノンでは自ら花々を育て、バラやスミレを用いた香りを楽しんでいました。会場では、そんな王妃の優雅な世界観を表現すべく創香された香りも体験できます。

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)
セーヴル磁器製作所、ジャン=ジャック・ラグルネ(弟)、ルイ=シモン・ボワゾ《乳房ボウル》1787年、国立陶磁博物館、セーヴル

《乳房ボウル》は、古代ギリシャの乳房形の杯「マストス」を着想源としたもので、パリ近郊ランブイエの乳製品加工所で牛乳を飲むために制作された器。あまりにも写実的な形状から、「アントワネットの胸を型取って作られた」という俗説が流れた一品です。当時流行した古代への憧憬や、乳製品の摂取を推奨する啓蒙思想が反映されています。

なお、アントワネットはフランス王家で初めて母乳育児を実践し、教育にも献身的に関わろうとした先進的な人物でした。愛情に満ちた子育てや母子といった新しい母性観のアイコンは、王太子誕生を祝う扇子などでも表現されています。

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)

また、アントワネットはダイヤモンドより漆を重んじたという母マリア・テレジアの形見を含め、100点以上の漆工品を有していました。日本展から加わった出品作として注目の《香箪笥》(画像一番右)は、彼女が所蔵していた可能性が極めて高いとされる小ぶりな漆工品です。草花や鳥が様々な蒔絵の技法を駆使して表現されています。豪壮な宮廷の調度のなかで、しっとりした輝きを放っていただろう小さな漆の器たち。ここにも、華奢で繊細なものを愛した彼女のスタイルの源泉と、母から受け継いだ確かな審美眼を感じることができます。

「首飾り事件」の首飾りの一部と伝わるダイヤモンドやギロチンの刃など、王妃の悲劇に連なる品々も

1785年に起きた詐欺事件「首飾り事件」は、潔白であったにもかかわらず、アントワネットの名声に致命的な打撃を与えました。第1章の終盤には、その事件の首飾りに使用されていたダイヤモンドの一部である可能性が極めて高いとされる、通称「サザーランド・ダイヤモンド」が登場します。

通称「サザーランド・ダイヤモンド」オリジナルのネックレス:フランス製、1780年代に加工、V&A

もとの首飾りは、「フランスで作られた宝飾品の中でも最も高価なもの」と称された伝説的なジュエリー。インド・ゴルコンダ産と考えられる石は、最高級の透明度と輝きをもち、中央の一粒だけでも約15カラットあり、王妃の運命を狂わせた事件を象徴するにふさわしい迫力を感じます。

《フランス革命で用いられたギロチンの刃》フランス製、1791–93年頃マダム・タッソー・ロンドン・アーカイヴ

1793年の処刑の日、アントワネットは自身が流行させたシュミーズ・ドレスよりもずっと簡素な、宝飾もパニエもない白いドレスをまとって断頭台へ向かいました。展示されている物々しいギロチンの刃は、まさに彼女の首を刎ねたものとされています。貴賤を問わず平等に、より迅速で苦痛の少ない処刑を行うこの処刑具もまた、アントワネット自身が影響を受けた啓蒙思想の理念から考案されたもの。それが彼女の最期に用いられたことは、歴史の皮肉といえるのではないでしょうか。

撮影者不詳《斬首後に型取りしたとされるマリー・アントワネットの蠟製胸像の写真[複製]》1907年、イメージ提供:フランス国立図書館

失われた黄金時代をまとう。偶像化されるアントワネット

第2章「マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800-1940」は、19世紀以降の再評価に焦点を当てています。

ピエール=ポール・アモン《皇后ウジェニー》1850年代、東京富士美術館

19世紀を通じて王党派の追憶の対象であったアントワネットですが、彼女のスタイルを復活させた最初の立役者は、1852年から始まった第二帝政期の皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーでした。スペイン出身で、同じく異国から嫁いできたアントワネットに強いシンパシーを感じていたというウジェニーは、仮装舞踏会でアントワネットに扮するのみならず、廃墟となっていたプチ・トリアノンを修復。1867年のパリ万博にあわせて、史上初となるマリー・アントワネットに関する展覧会の開催を後押ししながら、そのスタイルはウジェニー自身のイメージ戦略にも取り入れられました。

上は「ウジェニー皇后陛下の衣裳」(『フェミナ』1911年2月15日号)1911年刊行、個人蔵/下はアドルフ・ド・レスキュール『ウジェニー皇后主催のマリー・アントワネットの展覧会カタログ(会場:プチ・トリアノン)』1867年刊行、V&A

この動向に反応したのが、産業の発展とともに台頭した新興ブルジョワ階級です。彼らは、貴族的な品格と威厳に満ちたアントワネット風の装いやインテリアを積極的に導入。歴史的由緒や社会的ステータスを演出し、家格に正当性を与えようとしたのです。

19世紀末からベル・エポック期、そしてアール・デコ期にかけては、クチュリエやジュエラーたちが、アントワネットのスタイルを本格的に再生させ、モダンに再解釈していきます。

ショーメ《ガーランドスタイル・ストマッカー》1906年頃、個人蔵(協力:アルビオンアートジュエリー インスティテュート)

ショーメをはじめとするメゾンは、ボウや花綱、透かし模様といったアントワネット時代の宮廷装飾を思わせるモチーフを取り入れた「ガーランドスタイル」を最新のプラチナ技法でジュエリーにし、一世を風靡しました。デザイナーのジャンヌ・ランバンは、懐古趣味ただよう繊細でロマンチックな「ローブ・ド・スティル」(歴史的な様式に連なるドレスの意)を打ち出します。出品されているフリルをたっぷり用いた軽やかなイヴニングドレスは、18世紀のパニエ構造やアントワネットが好んで着用したシュミーズ・ドレスのエッセンスを転換したものです。

ジャンヌ・ランバン《イヴニングドレス「ローブ・ド・スティル」》1922–23年頃、V&A

こうした動向の背景には、第一次世界大戦の影響もあったと考えられます。王家や貴族社会が崩壊し、疲弊したヨーロッパにおいて、18世紀は「失われた黄金時代」として幻想化され、アントワネットがその象徴となりました。さらに1920年代のイラストレーション黄金期を迎えると、彼女のイメージは現実を超えたノスタルジックな夢の世界と結びつき、『眠れる森の美女』や『シンデレラ』に登場するような、おとぎ話の美しいお姫様の原型として参照されるようになります。

エドマンド・デュラック《雪の女王(『ハンス・アンデルセンの物語集』挿絵の原画)》1911年、個人蔵(プロフェッサー・A. オー・マーケイグ)

当時を代表する挿絵画家エドマンド・デュラックもまた、アンデルセンの童話『雪の女王』で、高く結い上げた髪や淡いブルーを基調とした気品あるドレスというアントワネット風の装いで女王を描きました。大量の新聞を読み散らかし、物憂げに玉座へ身を沈める姿は、「気まぐれな王妃」のイメージとも重なります。

なぜマリー・アントワネットは「永遠のミューズ」なのか

第3章「永遠に新しく―マリー・アントワネット・スタイル」では、アントワネットが作り上げたスタイルにさまざまなインスピレーションを得た、現代までのファッション、デザイン、映画、音楽などを紹介。

左はロバート・ポリドリ《マリー・アントワネットの浴室、ヴェルサイユ》2006年、協力:フラワーズ・ギャラリー/右はティム・ウォーカー《ケイト・モス、リッツ・パリにて》2012年、ティム・ウォーカー

アントワネット像の受容に大きな役割を果たしてきた映画作品からは、W.S.ヴァン・ダイク監督『マリー・アントワネットの生涯』(1938)、アルフレッド・ヒッチコック監督『泥棒成金』(1955)で着用された衣装が並びます。

なかでも傑作とされているのが、歴史映画の枠を超え、彼女の人としての資質と看過しがたい魅力を強調したソフィア・コッポラ監督『マリー・アントワネット』(2006)です。会場には、衣装デザイナーのミレーナ・カノネロが手がけ、主演のキルスティン・ダンストが着用したドレス3着が展示されています。18世紀の雅宴画に加え、コッポラから贈られたマカロンの箱の色彩にも着想を得ながら、時代考証と現代性を融合。若くスタイリッシュな王妃像を生み出し、アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しました。

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)

あわせて、本作のためにマノロ・ブラニクが制作した靴6足やデザイン画も出品。リヨン産シルクやボウ、クリスタルを取り入れたデザインに18世紀の靴づくりのエッセンスを重ね、映画の甘く優美な世界観を表現しています。

「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)
「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)

モスキーノ、クリスチャン・ディオール、シャネル、ヴィヴィアン・ウエストウッド、ヴァレンティノといった、世界的ファッションメゾンが手掛けたコレクションが並ぶ最終展示室は壮観の一言。ファッションショーのランウェイやアニー・レノックス、リル・ナズ・XらミュージシャンのMVをモンタージュした映像が空間を彩り、躍動するアントワネット・スタイルを体感できます。

左からジェレミー・スコット《アニメ柄トワル・ド・ジュイのミニ・パニエドレスと共布のブーツ(モスキーノ 2020–21秋冬コレクション)》、《ローブ・ア・ラ・フランセーズ風ガウンとジーンズ(モスキーノ 2020–21秋冬コレクション)》、《黄色のケーキドレス(モスキーノ 2020–21秋冬コレクション)》いずれも2020年、モスキーノ

特に、ジェレミー・スコットがディレクターを務めたモスキーノの2020-21年秋冬コレクションは白眉です。ローブ・ア・ラ・フランセーズにデニムパンツを合わせたほか、アニメ柄のトワル・ド・ジュイのパニエドレスを、脚を見せることがご法度だった18世紀のエチケットを笑い飛ばすように超ミニ丈に仕立てるなど、アントワネットが示した反骨精神と遊び心を加えて女性性を現代的にアップデートしています。

ジョン・ガリアーノ《V&A所蔵のマリー・アントワネットの肖像のあるイヴニングコート (クリスチャン・ディオール2006春夏オートクチュールコレクション)》2006年、ディオール
「マリー・アントワネット・スタイル」展示風景(横浜美術館、2026年)

リアーナが手掛けたフェンティ×プーマ2017春コレクションは、着想源にヴェルサイユの豪奢を、テーマに「マリー・アントワネットとストリートウェアの出会い」を掲げていました。パステルピンクの花柄なジャンプスーツ・アンサンブルは、古のフランス宮廷の過剰と退廃のファッションを連想させるとともに、現代のストリートカルチャーへの置き換えによって、性差の揺らぎを映し出すモードへと昇華しています。

べス・ケイトルマン《マリー・アントワネットの狂騒》2025年、協力:ベス・ケイトルマン

展示のラストを飾るのは、ベス・ケイトルマンのインスタレーション《マリー・アントワネットの狂騒》です。ジャン・オノレ・フラゴナールの代表作《ブランコ》のパロディで、ルイ16世がアントワネットのブランコを押す牧歌的な場面に、ヴェルサイユ宮殿を群衆が占拠する革命の光景が重ねられています。華麗さと退廃、栄光と崩壊。その二面性を描いた寓話が、物語を締めくくる余韻を残します。

 

報道内覧会に登壇したV&Aのシニアキュレーター、サラ・グラントさんは、「アントワネットが真に本領を発揮したのは革命期であったということで、歴史家の意見は一致しています」と話します。アントワネットは、革命期にルイ16世が心折れる中、革命家のリーダーや諸外国と交渉。革命家オノーレ・ミラボーが「王を支える“男”はたった一人、王妃だ」とその気概を称えたといいます。時代や慣習にただ流されるのを拒み、ひとりの人間として意志を貫こうとした不屈の生き様。そこにこそ、ファッションやインテリアを超えて彼女が貫いた「美意識」があったのかもしれません。

グラントさんは次のように続けました。「彼女が示した抵抗、独立独歩の姿勢は、今日のデザイナーたちにとって非常に重要なインスピレーションの源になっています。彼女は個人としての幸せを追求し続けましたが、18世紀の社会においては拒絶され、許されないことでした。しかし、こうした物語は、現代の私たちがどのように自分を表現し、個を確立していくかというテーマに対して、非常に深く共鳴するものなのです」

洗練とともに、退廃や「女性らしさ」への問いかけ、多様性など、現代社会の諸課題にまで視点を広げるアントワネット・スタイル。それは時代ごとに引用され、再解釈されながら、常に新しい意味をまとい続けてきた証であり、彼女が今なお「永遠のミューズ」であり続ける理由を物語っています。

 

■「マリー・アントワネット・スタイル」概要

会期 2026年8月1日(土)~11月23日(月・祝)
会場 横浜美術館
開館時間 10時~18時(11月21日・22日は20時まで)
*入館は閉館の30分前まで
休館日 木曜日(9月24日、11月19日は開館)
入場料 公式サイトでご確認ください。
主催 横浜美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館、読売新聞社、日本テレビ放送網
お問い合わせ 050-5541-8600(ハローダイヤル)
展覧会公式サイト https://www.marie2026.jp

※本記事の情報は報道内覧会時点のものです。最新の情報は公式サイト等でご確認ください。